• 2025年11月24日

髙田郁『志記』を医師が深掘り|江戸の医療事情と女性の生き方が胸に迫る一冊

はじめに:読書の秋に出会った一冊『志記』

読書の秋ということで、髙田郁さんの新作『志記』を読みました。

髙田さんといえば、『みおつくし料理帳』『あきない世傳 金と銀』など、江戸で懸命に生きる女性たちの姿を温かく描く筆致で知られています。

『志記』もその魅力がたっぷり詰まった作品です。

“同じ日に生まれた”という不思議な縁を持つ二人の女性が、全く異なる人生を歩みながら、やがて男性中心の社会へと挑む姿が描かれています。そのうち一人は医師を目指し、葛藤しながらも自分の道を切り開いていきます。

医療者として読むと、物語の背景にある「江戸の医療事情」が特に胸に迫るポイントでした。

江戸時代の医療描写が胸を打つ理由

作品中では、当時の出産や幼少期の病気が具体的に描かれています。

特に私が強く印象を受けたのは、麻疹(はしか)で子どもが命を落とす描写です。

江戸時代の麻疹は、現代でいう“子どもがかかる一般的な病気”ではなく、時に地域に大きな影響を及ぼすほどに子どもが大量に亡くなるほどの深刻な感染症でした(参考文献)。記録にも大規模流行が度々残っており、“命定め”と呼ばれるほど恐れられていました。

現在はワクチンで予防できる病気ですが、当時は治療法も予防法もありません。

「命定め」という言葉が、どれだけ親たちの心を締め付けたかを想像すると胸が痛くなります。

出産は「命がけ」だった時代

また、出産シーンも非常にリアルで、生々しさすら感じられました。

江戸時代には
・麻酔
・輸血
・帝王切開などの手術
・感染対策
といった現代の医療技術は当然存在しませんでした。

出産は「運」にほぼ全てが委ねられ、何かトラブルが起これば母子、子供共に命を落とすケースも少なくなかったのです。

医療が未発達な時代、
「ひとつの命を宿す」「子供を出産する」
ということが、どれほど大きな賭けであったか。
その現実を物語の中で追体験するような気持ちになりました。

女性たちの強さと覚悟が際立つ

『志記』は、医療描写がリアルであるだけでなく、女性たちが社会の制約の中で道を切り開こうとする姿勢にも力をもらえる作品です。

医師という道を選んだ女性だけでなく、もう一人の主人公の人生もまた、江戸時代の価値観の中で自分の信念を貫こうとする強さが描かれています。

医療・歴史・ヒューマンドラマが自然に絡み合い、物語の厚みをより一層深く感じさせてくれます。

歴史の知識が作品をより深くする

江戸の暮らしや医療制度を知ることで、作品の背景がより立体的に理解できます。
「ワクチンがなかった時代の麻疹流行」
「出産が命がけだった時代」
「女性が医師になること自体が特別な時代」

こうした事実を知ることで、物語の緊張感や登場人物たちの覚悟が一層際立ちます。

普段現代医療の中に身を置く私自身にとっても、今当たり前になっている医療技術がどれほどの時間と努力を経て発展してきたかを改めて感じさせてくれました。

おわりに:読書の秋に心からおすすめ

深いテーマを扱いながらも、髙田郁さんらしい温かさが貫かれた一冊です。
秋のひとときにじっくり味わう読書として、とてもおすすめできます。
そして私自身も、この先の展開を楽しみにしながら読み進めているところです。

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